○参考人(木下昌彦君) ただいま御紹介いただきました神戸大学の木下昌彦と申します。憲法、比較憲法、情報法などを専門にしております。
本日、このような発言の機会を賜りましたこと、誠にありがとうございます。
本日は、我が国の最高裁判例に即して、とりわけ自己所有の国旗に適用される場面を想定して、本法案の憲法適合性について私の見解を述べさせていただきたいと思います。
まず、最高裁は、憲法判断の方法として、利益衡量論という手法を採用しております。具体的には、制限される自由の内容及び性質、これに加えられる具体的制限の態様及び程度、自由を制限する必要性の程度という三つの要素を衡量し、制限の合憲性を基礎付ける必要性、合理性があるか否かを判断するというものです。ここでは、この三つの要素に即して本法案の検討を進めたいと思います。
まず、制限される自由の内容及び性質について検討します。
本法案の三条が示唆しておりますように、本法案は憲法二十一条一項が保障する表現の自由と深く関係するものです。本法案は、政治演説や書籍出版のような言語を介した活動を直接処罰対象とはしていません。しかし、非言語的活動であっても、特定の思想や主張がある者からある者へと伝達される場合には、象徴的言論として表現の自由に含まれます。国旗を燃やすなどの行為は、そのような象徴的言論の典型的行為と位置付けられてきました。
象徴的言論は、心から心へのショートカットとも言われます。それは、時に言語よりもより直接的に人の感覚に訴えかけ、魂を揺さぶり、想像を喚起し、記憶に鮮明に残させる作用を有するものです。本法案も、国旗の損壊行為が国旗を大切に思う国民感情に働きかけ、人に著しく不快又は嫌悪の情を催させるものであることを前提としています。人の意識や感情に働きかける行為は、まさに表現活動の核心的要素であると言えます。
最高裁は、表現の自由を民主制国家の存立の基盤として位置付け、経済的自由などとは異なり、厳格な基準によって合憲性が審査される旨繰り返し述べてきました。また、近年の最高裁判例の中に、表現の自由事案において立法裁量に言及したものはございません。
さらに、最高裁は、公共的事項に関する表現の自由は特に重要な憲法上の権利として尊重しなければならないと述べています。国旗は、それ自体が公共的なもので、負の歴史も含め、その国の歴史とともにあります。そして、国家のみでなく、時の政権、公権力、さらには国家主義や民族主義とも結び付いたものとしても認識されています。それゆえに、国旗損壊は、国家、政権、国家主義への批判、さらには特定のシンボルを国旗とすること自体への反発といったメッセージの伝達を担うことがあります。本法案が成立した場合には、本法案それ自体を批判するという意義が新たに加わることでしょう。
これらの国旗を介した表現活動は、公共的事項に関する表現の自由の核心とも言える政治的言論に該当するものです。本法案は、構成要件上、政治的活動としてなされる国旗損壊行為も含むものとなっており、政治的言論に対する規制法規としての性質を有することは否定できません。
次に、自由に対して加えられる具体的制限の態様と程度について見ていきます。
まず、重要であるのが、本法案は刑事罰による自由の制限であるということです。刑事罰は、人権制限の中でも最も厳粛な手段と位置付けられてきました。
また、表現の自由に対する規制の強さを測る指標としては、内容規制と内容中立規制の区別が重視されてきました。内容規制は、何が有害な表現かを国家が国民の代わりに決めることになること、また、特定の意見や主張のみを排除することで本来平等な競争であるべき思想の自由市場をゆがめ得ることなどから、特に危険性のある規制形態と考えられてきました。
ここで注意を要するのが、内容規制であるかどうかと、時、場所、方法の規制とは分析の軸が異なるということです。
時、場所、方法の規制であっても内容規制となる場合があります。例えば、選挙期間中のSNS上での虚偽情報の投稿禁止は、時や場所の規制であると同時に内容規制でもあります。国会審議では、本法案は内容規制ではなく方法の規制であるとの説明もございましたが、その説明は法的分類として疑義を含むものと言わざるを得ません。
本法案が方法の規制というのは、不快又は嫌悪の情を催させるような方法という規定の文言を根拠にしたものだと考えます。しかし、そこで言う方法は、実質的に表現の内容に等しいものです。なぜなら、不快又は嫌悪の情を催させることそれ自体が、表現の内容やメッセージの伝達そのものを構成するからです。
また、これまでの審議の説明では、方法に該当するかどうかの判断を客観的に行うことも強調されています。ですが、わいせつ規制など典型的な内容規制でも、客観的に構成要件該当性が判断されています。判断の客観性が内容規制としての側面をどう解消するのか、正直よく分かりません。実質的に見ましても、本法案は、表現行為について、何が不快か否かを国家が一義的に決めるものとなっています。まさに内容規制が持つ危険性をそのまま内包していると言えます。
さらに、そもそも、国旗それ自体が憲法において確定したものでもありません。何を国旗として扱うか、扱うべきか、扱うべきでないかも公の議論の対象となり得るものです。
日章旗を国旗と考えないこと、また、国旗とすべきでないと批判することは自由です。その中で、本法案は、国家が、日章旗に敬意を示すとみなす者は許容する、不快を催すとみなす者は抑圧の対象とします。国旗・国歌法の規定に対し批判的立場からすれば不快でも何でもない表現活動を国旗・国歌法を是とする立場から処罰するわけですから、それは、単なる内容規制ではなく、内容規制の中でも特に制限の程度の強い見解規制に属するものと考えます。
本法案は、内心の思想には踏み込まないと説明されています。しかし、人々が思想を形成する過程である思想の自由市場に介入するものであることは明らかです。
それでは、三番目の要素である自由を制限する必要性の程度について見ていきたいと思います。
この必要性の程度は、保護法益の重要性と制限を採用する必要性を基礎付ける立法事実の内容に大きく依存していると考えます。
まず、保護法益である国旗を大切に思う国民感情は、生命、身体、財産のような具体的、実体的法益ではなく、抽象的な法益にとどまります。近年、国民の理解のような抽象的な公益は重要なものではないとした判例があります。国民感情は、抽象的な公益という点で国民の理解とほぼ同様の性質を有するものであり、同じく重要なものとは言えないでしょう。また、仮に特定のものを大切に思うという国民感情なるものを表現の自由を規制し得る重要な法益であるとした場合には、表現の自由に対する規制が際限なく広がり、社会的に反感を買うような表現はおよそ認められなくなる危険性があります。
そもそも、国旗を大切に思う国民感情というようなものが、憲法上、保護に値する感情として規範的に正当化できるかも疑問があります。我が国は、表現の自由を保障する憲法を採用しています。その憲法の下で生きる国民としては、仮に国旗が燃やされる状況に接したとしても、その状況を、表現の自由が保障されている以上、必然的に想定される事態として受忍するというのが本来求められるべき姿であるように思います。
最高裁は、自衛官合祀事件判決において、他人の宗教的行為が不快でも、信教の自由が保障されている以上、そのような不快な気持ちは法的保護に値しないとしています。同じ論理は国旗を大切に思う国民感情についても妥当するでしょう。
加えて、国民感情を保護するために本法案が必要であることを示す立法事実にも乏しいことも指摘せざるを得ません。予防的立法事実という新たな概念が登場していますが、そのような概念は、必要性がないとは言えないことを言わば作文するだけのもので、高度な必要性まで論証するものではありません。確かに、生命や身体のように取り返しの付かない法益であれば予防的措置も必要でしょう。しかし、抽象的概念である国民感情がそのような取り返しの付かない法益であるとは言えません。むしろ、取り返しが付かないのは、本法案ができることによって発生する萎縮効果です。政治的表現はまさに必要なときに行えないと意味がありません。
以上の利益衡量をまとめたいと思います。
第一に、本法案は、政治的言論を規制対象とするもので、制限される自由は憲法上極めて重要な権利となります。第二に、その内容や見解に着目して刑事罰を加えるもので、具体的制限の程度も極めて大きいものと言えます。第三に、立法目的は国民感情という抽象的なものにとどまり、制限の必要性を基礎付ける具体的立法事実もないことから必要性が高いとは言えません。
結局、利益衡量の三つの要素全てが違憲の方向に評価できるものであり、本法案の合憲性を論証することは困難、すなわち、本法案は憲法二十一条一項に違反する違憲なものだと考えます。
なお、最高裁は、制限される自由の内容や具体的制限の態様などに基づき、必要性の程度の閾値を変化させてきました。特に厳格な基準が適用された事例として、公民館の利用拒否や未決勾留者の新聞閲読禁止の事案があります。本法案は、それらの事案と比較しても、具体的制限の態様及び程度が大きく、高度の必要性が要求される厳格な基準が適用される事案であると考えます。
もっとも、これまで検討しましたように、単純な利益衡量でも違憲性は明らかであり、立法事実に乏しいことにも鑑みますと、経済的自由に適用される立法裁量を前提とした基準を用いたとしても、本法案を合憲とすることは困難であると思います。
また、本法案については、明確性の観点からも深刻な問題を抱えております。表現の自由は、刑罰法規の明確性が特に要求される分野です。私が国会審議を拝聴をして想起したのは、アメリカの有名な教科書に登場する、公共の場での発言は処罰する、ただし、それを処罰することが違憲となるような場合は除くという仮想的条文です。論理的に、この条文の適用が違憲になることはありません。しかし、このような条文は不明確なものとして、文面上、違憲になると考えられています。なぜなら、何がただし書により免責され、されないかを一般人が事前に判断することが不可能だからです。このような条文があれば、免責のただし書が仮に存在したとしても、公共の場で誰も発言しなくなるでしょう。本法案は、まさにこの仮想条文と同じ構造を持っています。
これまでの質疑では、政治的意見表明を目的としている場合には違法性阻却事由の対象となり得るとされ、憲法上保護されるべき表現に処罰が及ばないかのような説明がなされています。しかし、違法性阻却事由の判断それ自体が不明確で、結局、違法性阻却事由の適用可能性があったとしても、刑罰を避けたいと思う者は国旗を用いた政治的表現を行うことはしないでしょう。まさに、憲法上保護された行為に萎縮効果が及ぶことになります。
諸外国にも国旗を保護する法律はあります。しかし、先進民主主義国で、単純に国民感情を保護法益とし、不快や嫌悪を構成要件として国旗損壊を処罰する国を私は見付けることができませんでした。
最後に、最大の懸念点である本法案の憲法法理全体への影響について述べたいと思います。
本法案は、我が国の憲法法理によって合憲性を肯定することは困難です。逆に言えば、本法案を合憲にしようとすれば、従来の表現の自由に関する憲法法理をほぼ解体する必要があります。本法案が成立すれば、これまでできないと考えられてきた法律が実はできるものであったことが確証されることになります。
内閣法制局の実務も変わるでしょう。例えば、我が国は、人種差別撤廃条約のヘイトスピーチ処罰の義務付けも、憲法上の疑義を理由に留保を付けてきました。本法案が仮に合憲であるとすれば、そのような外交上の立場さえ引き続き維持できるのか疑問があります。本法案は、単なる新法制定にとどまるものではなく、憲法的現象としては憲法改正と同じ効果を持つと言っても過言ではありません。
この意味での危険性は、仮に本法案による検挙者が全くいなかったとしても、消えることはありません。本法案が成立した時点で、表現の自由の憲法法理は大きく動揺することになるからです。実際、ほとんど検挙者がいなかった外国国章損壊罪が本法案を呼び寄せ、正当化したように、本法案は、新たな規制を呼び寄せ、正当化するでしょう。
私は、本法案には二つの運命しかないと考えております。最高裁において違憲無効とされる運命か、さもなければ、我が国の自由な言論の喪失の端緒になったと後世の歴史家によって記述される運命です。
以上となります。ありがとうございました。
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