参議院国民生活・経済及び地方に関する調査会(2024-02-14)での発言
第213回国会
·第第2号号
·1,529字
○参考人(小国喜弘君) 山本先生、ありがとうございます。
やはり我々は、ともすると、私の説明の仕方もそんなふうになっていたかもしれないんですけれども、海外は良くて、何か日本は悪い、遅れているみたいな、そういう説明の仕方をしてしまうことがよくあって、何かそういうところを先生、補足していただいたのかなと思って、有り難く拝聴いたしました。
これ、海外で、例えば研究をしたり、それから我々のオンラインの会なんかですと、結局オンラインですので、それこそ海外でリアルタイムに参加してくる人たちがいまして、例えば、イタリアのフルインクルーシブ教育について日本の研究者が説明をすると、ともすると非常にきれいな説明をしてしまうんですけれども、そこに海外に住んでいる人が、いや、イタリアにも差別がありますとか、イタリアにも特別支援学校があるんですというような、そういう話がございます。
海外の場合、実は見えやすいのは、様々な移民が顕在化している中で、移民の持っている特性として排除すると、これは民族差別に明らかになってしまうので、これを一種、障害の問題と変換して、障害者差別として排除、周縁化するという、そういう形の差別が非常に深刻化しているんだそうです。ですから、一番そういう意味では取り上げにくい差別が障害者差別というふうになっていて、その問題がまずは違いがあるということだと思います。
それから、海外にもそういう意味での差別がありますので、当然生きにくい子供がいたり、それから、日本の方が進んでいるというのは、医療的ケア児なんかのインクルージョンという意味でいうと、実は日本の方が進んでおります。海外の場合は、意外とそういう重度の医療的ケアが必要なお子さんが普通学級で学べるという例は少ないというふうなお声も聞いたりしております。
いずれにせよ、やはり海外との違いという意味で、一番我々にとって重要なのは、やはりその差別をどう克服するのかという認識の中で学校を運営するということと、日本は一応差別がないということが前提として学校生活が営まれてしまっているために、差別を議論するということ自体が何か決定的なことを議論するかのような構えになってしまって、もうその日常的な改善のサイクルの中に入れないという、何かその問題は非常に大きいのかなという気がいたします。
それともう一つは、やはり日本は一斉授業が非常に機能しております。海外は、やはりグループワークであるとか探求学習みたいなものがもっと中心になっておりますので、それぞれがそれぞれなりに取り組みやすいような部分がございます。
山本先生おっしゃってくださったように、やはりその日本のシステムというのは、第二次産業の中で工場労働者をどうつくるのかという中でかなり発展してきた部分がございまして、ですから、遅刻について厳禁になっておりますし、先生の言うことは聞かなくてはいけないことになっておりますし、聞いたことは最後までしっかりやり遂げなくてはいけない。これは工場労働者としては非常に重要な資質ということになっていることに先生方どなたも御異論のないところだと思うんですが、今、そういう労働自体が非常にしぼんでいたり、工場でも様々な労働能力が必要になっているという状況がありますし、そもそも労働能力を養成することが学校の目的なのかということ自体が問われなくてはならない状況の中で、やはり高度経済成長の日本とは、我々が今いる現在というのは違うということの中でやっぱり学校を考えていかなくちゃいけないと、そういうことを山本先生からの御指摘の中で今考えさせていただきました。
ありがとうございます。