参議院国民生活・経済及び地方に関する調査会(2024-02-14)での発言
第213回国会
·第第2号号
·1,159字
○参考人(小国喜弘君) 済みません、失礼しました。何かもう先生方から興奮するような質問ばかりいただいて、済みません。
本当に難しいです。本来は、先生方は、教員になる人たちは子供が好きで、子供と一緒に遊びたいと思って教壇に、教師になる。だけど、一旦入ってみたら遊ぶ時間もない。それから、本当に、決まりを押し付けなくてはいけない。自分がやりたいと思っていなくても隣の教室でやっているからやらなければいけない。隣の教室でやっているのに自分がやらなければそのことで批判をされてしまう。で、すぐに、校長から下手すると指導力不足教員みたいなレッテルを貼られて転勤のときに不利な処遇をされるかもしれない。様々な恐怖の中で駆られていると思うんです。
そういう意味では、やっぱり子供が自由に遊べるような環境をまずは保障すると、先生方もそこで一緒に、例えば、休み時間遊ぶなんというのはクラスのそういう心理的安全性をつくるためにも重要ですけど、教師にとっても非常に重要なことだと思います。
その上で、これもお叱り受けるかもしれませんけど、教育基本法の第六条だったかと思うんですが、その改正教育基本法の中では、規律ある態度みたいなものを教室の中に入れなきゃいけないという話が入っているんですね。あの話が、やっぱりあれができて以降、随分、だんだん、徐々になんですけれども、やはりその規律ある、それを一つの口実にしてというんですか根拠にして、つまり、地方のレベルの教育計画であるとか教育目標の中にそういう規律という問題が入っていって、様々なスタンダードと言われるアメリカ由来の様々な拘束まがいのルールが教室に入り、今や、聞き方名人、発言名人、それから、例えば、背はぴん、背中はぴんですね、足は床にぺったんことかですね、変なうたい言葉のようなせりふの中で、教室の中の座っている姿勢まで望ましいものが決められてしまっていて、それが教室に貼られているみたいな光景も普通にあるんですね。
ですから、これなんかもう子どもの権利条約違反なんだと思うんですけれども、だけど、もう一方で、やっぱり教育基本法に規律ある生活か規律ある態度みたいな話が入ってしまっていることによって、学校現場ではそれが正当化されてしまっているという状況がございますので、是非、もし可能なのであれば、その教育基本法のところのその、若しくは、そういう意味ではないんだということなのかもしれないですよね。規律あるの規律というのはもっと高尚な意味であって、その日常生活を縛れという意味ではないということでもいいんですけれども、ただ、教室ではそういうふうに人口に膾炙しているという状況がございますので、是非その辺りのところにお力をいただけたら有り難いなというふうに思う次第です。